1-3 世紀末をまたぐ(中学生)

映画「アルマゲドン」や「マトリックス」が公開され、ロボット犬のAIBOが誕生した1999年。

トルコでは大きな地震が起こったが、ノストラダムスが予言したような世界の終わりは来なかった。

日本では「だんご3兄弟」、宇多田ヒカルの「Automatic」「First Love」、モーニング娘。の「Loveマシーン」が流行っていた。

「カリスマ美容師」という言葉もこの頃から耳にするようになったっけ。

僕は中学2年生になっていた。

内心、ノストラダムスの大予言にビビってはいたけど、アルマゲドンを楽しめていたくらいだから心の余裕はあったんだろう。

そうそう。

今でも1999年の一コマを覚えている。

場所は授業中の中学校の音楽室だ。

二階か三階にあったと思う。気持ちのいい晴れた日だった。

時期はハッキリ覚えていないが、アンゴルモアの大王が降りてくる「七の月」以降だったと思う。

 

「結局何も起こらなかったじゃねぇか」

そんな気持ちで授業を上の空で聞き流し、真っ青に透き通った空と、優雅に漂っているキレイな白い雲を眺めていた。

バタバタバタバタ・・・

空から変な音が聞こえてきた。

とても不気味な音に聞こえた。

バタバタバタバタバタバタ・・・

耳を澄ますとウォ〜ン、ウォ〜ンと、低い音も混ざっているような気がする。

その音はどんどん近づいてくる。

バタバタバタバタバタバタバタバタバタ・・・

「あぁ〜、やっぱりアンゴルモアの大王が降りてきたのかも」

「ノストラダムス〜、疑ってごめんなさい。助けて!」

バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ・・・

「もう授業とかやってる場合じゃない!」

「逃げるぞ!」

「変人と思われても構わずみんなを誘導して外に出るか、それトイレに行くフリをして一人で逃げ出すか」

「みんなを置いて逃げるのか?」

「仕方ないじゃないか!準備をしてない奴が悪い!」

バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ・・・

「あぁ〜、どうしよう。壁にかかっているベートーヴェン〜。睨んでるだけじゃなくて、なんとかして〜」

バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ!

「アンゴルモアの大王〜。モンゴルみたいな名前であんまり怖そうじゃないって思ってごめんなさい〜」

バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ!!!

「ハムスターにモンゴルって名前つけたの怒ってるんだったら許してください〜」

バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ!!!

「あれは、その前に家族で行った長崎のモンゴル村を思い出してつけた名前なんです〜。許してください〜」

バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ・・・

と、一人で焦っている間に、その音は遠ざかって行った。

バタバタバタバタバタバタバタバタバタ・・・

バタバタバタバタバタバタ・・・

バタバタバタバタ・・・

バタバタ・・

バタバ・・

多分、ヘリコプターが通っただけなんだと思う。

心の中で密かに終末を恐れていたから、なんだかとても不気味な音に聞こえたんだ。

あの時は本当に少しだけ死を覚悟した。

音楽室で一人、挙動不審になっていたと思う。

とはいえ、それ以外、その年に何も起こった記憶はない。

その瞬間だけはビビったが、結局、1999年に世界は滅ばなかったんだ。

チクショウ!

俺の今までの心労はなんだったんだ!

俺はこの先の準備、まったくしてねーぞ!

 

無気力

世界の終わりが来なくて安心したが、ハッピーだったかと言うと、そうでもない。

ノストラショック以来、多少なりとも死ぬ覚悟はしていたのだが、未来を生きる準備をしていなかったんだ。

オーマイガー!

進路も考えてなかったし、勉強もほとんどしていなかった。

ハッピーになれなかったのは、環境の変化も関係しているかもしれない。

 

学校生活も上手くいかなくなった。

小学6年生の頃と中学1年生の頃に、人生で初めていじめというか孤立のようなものを経験した。

冗談のつもりで放った言葉や、お調子者が行き過ぎたことで、周りの気分を害してしまったことが原因だったと思う。

暴力や嫌がらせを受けたわけではないが、周りの友達が相手をしてくれない時期があった。

これといったエピソードや光景も浮かばないくらいだから大した逆境ではなかったと思うが、それ以来、人前で言葉を発することが怖くなったり、自己主張が上手くできなくなったりという風に自分が変わった様に思う。

 

環境の変化はもう一つある。

両親が離婚した。

 

両親の離婚

6年生に進級するタイミングで引越しをした。

今度は父方のじいちゃんも一緒に住むことになった。

これまでの住まいは借家だったのだが、今度の住まいは間取りから家族で計画を立てて完成した、新築の大きな一軒家。

お城のようなコンクリートの壁の上に建つ広い庭付き、ウッドデッキ付きの立派な家だった。

庭で釣竿を振る練習をしたり(当時、グランダー武蔵というバス釣り漫画が流行っていた)

伸び伸びとキャッチボールができるくらい広い庭。

引っ越したばかりの頃は親戚が集まって、デッキでバーベキューをしたこともある。

 

家が建ってしばらくは、家族みんなで楽しく過ごしていた。

しかし、僕が中学1年生の頃から雲行きが怪しくなって行った様に思う。

母が別の場所にアパートを借りて、たまにしか帰ってこなくなった。

両親は以前からちょくちょく喧嘩をしていたので、その延長くらいに思っていた。

しかし、なんかおかしい。

帰ってこない期間が長すぎる。

どーなるんだろうと思っている間に、あっという間に両親は離婚しちゃった。

なんか、本当にあっという間だった。

僕が中学2年生の頃だ。

僕と下の妹弟2人はみんなで母と一緒に暮らすことになったのだが、引越し先は新築の家と同じ町内。

なんでこういう時は転校ないんだよ!

って思いましたね。

理由は僕たち子供がいつでも父と会える様に、ということだったが、気持ちはなんか複雑だった。

父とじいちゃんは、しばらくそのまま新築の家に住んでいた。

新しい住まいは、これまで住んだことがない様な年季の入った木造の平家。

中学2年生から成人式を迎えるくらいまで、ここで家族4人で暮らすことになる。

 

ギターとの出会い

そんな時期に、僕はギターを始めた。

中学2年生がもうすぐ終わる1月。

寂しかったからとか、何か始めなければという気負いがあった訳ではない。

偶然、このタイミングでギターを始めた。

キッカケはGLAYのギターソロ。

当時流行っていたビジュアル系バンドの音楽が好きで、GLAYの他にもLUNA SEA、L’Arc〜en〜Cielというバンドの音楽をよく聴いていた。

その中でも特に、何故かGLAYのギターソロの音色に心を惹かれていたの。

ギターのメロディに合わせて、心臓が引っ張られる感じがするんです。

ギターソロを聴いているといつも心地よさ、興奮、切なさ、憧れ、そんな感情が入り混じったような状態になっていた。

とはいえ実はこの時、自分の心を惹きつける音が、ギターの音色だとはハッキリ分かっていなかった。

キュイーンとか、ウィォーンとかいう、宇宙とか夢の世界を連想させられる様な音。

キーボードの音かもしれないし、ギターの音かもしれない。

とにかくその音に心を惹かれていた。

しばらくは「心臓を引っ張られながら、未知の音に酔いしれる」という変な状態が続いた。

しかし音を聴いているだけでは満足できず、自分でも音を出したくなってきた。

GLAYはギタリストが2人いるから、おそらくギターの音だろうと自分を納得させて、ギターを始めてみることにしたの。

それまで、自分で何かをしたいと思っても長続きしたことがなかったので、ギターを始めても弾けるようになるなんて想像はできなかったが、「とりあえずやってみるか」という感じでギターを買ってみることにした。

お年玉を握り締め、生活圏内で1番立派な楽器屋さん「ヨシダ楽器」でエレキギターを買った。

足りない分は、ばあちゃん(お母さんの方)がちょっと出してくれた。

それが自分の人生でこんなに大きな存在になるなんて、思ってもいなかった。

思い返してみると、不思議なタイミングでギターを始めたなぁと思う。

1999年が終わって2000年が始まると同時に、僕はギターを始めたんだ。