昔を思い出しながら文章を書いているせいか、また美容師時代の夢をみた。
オシャレな音楽が流れ、少しだけオレンジがかった照明に照らされた明るい店内、パーマ液やカラー剤、シャンプーの香りがただよっている。
僕はシャンプー台に立ち、若くてオシャレな女性の髪を流している。
明るく細い髪。カラーを繰り返している髪はダメージを受けて水分をよく吸うので、水を止めたらキュッと固まる。
タオルで髪を巻き、座席を起こす。
会話をしながら髪を拭く。
ダメージを受けた髪は、タオルで拭く時も拭きにくいんだ。
内心では指が引っかかって痛くないかとビクビクしながらも、それをお客様に悟られないように楽しそうに話をしなければいけない。
あぁ、少し水が垂れた。
首元にタオルを巻いているが、服が濡れていないだろうかと不安になる。
お客様も話を合わせてくれているが、実は不快に思っているんじゃなかろうかとドキドキする。
シャンプーが終わってお客様を席に誘導する。
あれ?
「お疲れ様でした〜」だったけ?
「ありがとうございました〜」だったっけ?
髪を乾かす時も、手が引っかかって痛くないだろうか、水滴が飛んで不快じゃないだろうかとビクビクする。
でも、笑顔で会話は続けなければならない。
「エリさ〜ん、お願いしまーす」
スタイリストに引き継ぐ時もドキドキする。
時間がかかりすぎてたんじゃなかろうか。何か粗相をしてしまってやいないか。
あ、こんなとこでグズグズしていちゃいけない。
次のお客様を確認しなきゃ。
「カルテにさっきの会話をメモるの忘れた」と、後ろ髪をひかれつつカウンターへ行き、予約表を確認する。
あ〜、この人とこの人、どっちを先に案内すればいいんだ。
今日は店長忙しそうだから、店長のお客様を先に案内するべきか。いや、荒井さんも、もうすぐ手が空きそうだ。
と悩んでいる所に、スーツ姿のお客様が入ってきた。
「あ〜この人、顔は思い出せるけど、名前なんだっけ。この間、話が盛り上がったけど細かいこと覚えてねぇ。どうしよう」
と頭をフル回転させつつ、笑顔で応対をする。
「あー、今日はオプトイン3つね!」と、スーツのお客様。
「ん?オプトイン3つ?何だそれは。初めて聞いた単語だぞ。カラー剤の名前か?いや、発毛剤か何かか?その場合、カットはしないのか?どう切り返せば、この場を乗り切れる?店長に聞くか?いやいや、忙しそうだぞ。正直にお客様に聞くか?イヤイヤイヤイヤ、それはダメっしょ。あー分からんくなってきた!俺はどうすればいいんだ!」
という所で目が覚めた。
また、ぐっしょり汗をかいている。
美容師時代の夢を見た時は、決まって寝起きが悪い。
ちなみに、僕は学生時代に国家資格を取り、美容師をしていたが、実際にはアシスタントしか経験していない。
「なんで僕は美容師になったんだろう」
専門学生時代から、僕はよくこう自問していた気がする。
美容室で働き始めた後も、その自問は続いた。
「この先、この仕事をずっとやっていけるだろうか?」
きついことがあった時、いつもモヤモヤとした気持ちで霧がかった先の未来を想像する。
どんなに想像しても、未来の美容師の僕の姿が浮かんでこないんだ。
その代わりに、なぜがギターを抱えた自分の姿が浮かんでくる。
そういえば専門学校のロッカーには、いつも音楽理論の本が入っていた。
美容師になってから常にお尻のポケットに入れていたメモ帳の裏にも、ギターのコードの名前がビッシリだ。
期待に胸を膨らませて、自信満々で「シエラ」に入社した。
「俺は期待の新人だ。なぜならばオーナーから直々に声をかけられ、美容師になったんだから」
入社してすぐに開催してくれた新人歓迎の飲み会で、先輩たちにお酒を注ぎまわって愛想を振りまいた。飲み会の終わりには、オーナーに向かって深くお辞儀をして、入社させてくれたお礼と飲み会のお礼を仰々しく伝えた。
初日からやる気満々で、床に広がる髪の毛を一つ残らず掃いて回ったり、指紋一つ残さないくらい鏡を拭き上げたりしていた。
「俺は毎日を全力で過ごす!」
「とんでもないスピードで成長してやる!」
だが、それも長くは続かなかった。
日々のルーティンにも慣れ、専門的なトレーニングが始まって、出来ないことを指摘されるようになると、やる気が急激にしぼんで行った。
粗相をしてお客様に迷惑をかけた時も、反省を忘れて、ふてくされた。
営業後の練習時間にも、先輩が教えてくれようとするのに、自分の練習計画と違うからと、ふてくされた。
自己主張と、過信の塊。
平気でグチを口にし、自分の正当性を主張する。
周りの人に支えられ、何も出来ない新人という自分の立場を顧みることなく、不満を声高に発する。
お客様の前で同期とケンカをしたこともあったし、鏡越しにお客様が見ているのに、険しい表情で同期を睨みつけることもあった。
調子がいい時は元気いっぱい、上手くいっていない時はあからさまに機嫌が悪くなる。
その時の気分によって、懐く先輩を変える。
遅刻も、数度と言わず何度も繰り返した。
あぁ、自分を振り返りながら、本当に情けなくなる。
絵に描いたように未熟な新卒社会人だったと思う。
それなのに「シエラ」は僕を、温かく、根気よく育ててくれた。
本当に家族のように僕の面倒を見てくれた。
シエラは、店長兼オーナーが25歳の時に創業した、福岡県古賀市にある美容室だ。
古賀市は福岡市の中心部から車で30分ほどのところにある、綺麗な海と山に囲まれたベッドタウンで、人口は約6万人。1997年に町から市になった、僕が学生時代に1番長く過ごした場所だ。
九州自動車道の古賀インターがあり、JR鹿児島本線の駅もある交通の便が非常にいい場所で、山側に行けば豊かな自然が広がり、海側に行けば街があるという、とても過ごしやすい場所だった。
アフガニスタンで亡くなった中村哲医師や、ラグビーW杯で大活躍を見せてくれた福岡堅樹選手、お笑い芸人の博多大吉さん、歌手のYUIさんも古賀市の出身。
同じ中学校で1つ上の学年には、ソフトバンクホークスで活躍した外野手・吉村裕基選手がいたし、同級生には元アナウンサーでタレントとしても活躍している長崎真友子さんや、東京で歌手をしている一穂ちゃんがいた。中学時代の水泳部の後輩の妹で弟の同級生には、酒井志穂ちゃんという世界水泳で活躍した選手もいる。
そんな古賀市で20年以上、市内外のお客様から愛されていた「シエラ」には、系列店も合わせると約20名のスタッフが在籍していた。
みんな家族のようなあたたかさがあり、先輩たちにはよくご飯に連れて行ってもらっていた。休みの日にはスタッフ同士で遊びにいくこともしょっちゅうだった。
土日は、ほぼいつも満席。
毎回差し入れを持ってきてくださるお客様や、家族全員で通ってくれるお客様が沢山いた。
講習会や社外研修も頻繁に受けさせてもらっていたが、自分でお金を払った記憶がない・・。多分、全部お店が負担してくれていたんじゃなかろうか。
定期的に開いてくれるバーベキュー大会や新年会、忘年会も、自分でお金を払った記憶がない・・。社員旅行は毎月、ほんの少しだけ積立で給料から引かれていたが、上海や沖縄に、自分では到底申し込めないような豪華なプランで連れて行ってくれた。
あ〜、いま思い出すと、本当に涙が出てくるくらいありがたい。
個人事業主を始めた時から、これがどんなにありがたいことか分かるようになったし、大人になればなるほど店長の凄さに気付くようになった。
一つ上の先輩で、僕のお世話係をしてくれていた新矢さんを思い出しても、僕は頭が上がらなくなる。
新矢さんは中学の先輩でもあり、中学高校時代には遠くから憧れて見ていたような、光り輝く先輩だった。
人気者で仲間が多く、面識がなくてもいつも名前を耳にするような有名人。
武勇伝も多い人だったので、新矢さんが直の先輩になると知った時にはビビったが、ものすごく優しくて、熱くて、面倒見のいい先輩だった。
新矢さんに教えてもらったこと、してもらったことを挙げるとキリがない。
仕事内容を丁寧に教えてもらったというどころじゃない。
人間の心の機微や、社会人としての心構え、形式にとどまらない礼儀作法など、ありとあらゆる大事なことを教えていただいた。
「スタイリストがシャンプーをしているのに、おまえがボーッと突っ立っておくな。何度も教えただろう?お前ができる仕事はシャンプーとカラー剤の準備くらい。スタイリストの荒井さんは他のお客さんを待たせているし、やる仕事は沢山ある。その荒井さんが動いているのに、なぜお前はヒマそうにしてるんだ?俺が荒井さんとシャンプーを変わろうとしたのに断られたのは、おまえにその役割を気付かせるためだぞ」
「店長に道具をかりた後、ちゃんとお礼を言ったか?お前は当たり前のようにかりていたが、店長に貸してもらわなければ、おまえはその仕事をできなかったんだぞ。なんでも当たり前だと思うな」
「お客様にしつこく仕事の話を聞くな。お客様が話したそうな内容や、心地よさそうな雰囲気を察してから会話を始めろ。お前も、初めて会った奴に根掘り葉掘り聞かれると心地悪くなるだろう?」
それでいて、絶対に頭ごなしに怒らない。
僕が見当違いなことをして戸惑わせてしまっても、「なんでそれをしたの?」と必ず理由をきいてくれ、考える習慣を育ててくれた。このスタイルは「シエラ」の先輩みんなに共通していた。忙しい時でもそれは変わらない。
新矢さんは、特によく、ご飯に連れて行ってくれた。僕が休日に予定がないのを察すると、みんなを誘って小旅行を企画してくれることもしょっちゅうだった。落ち込んでいる時は、いつも銭湯に誘ってくれた。
僕は、店長や新矢さんをはじめ「シエラ」の先輩たちと出会わなければ、どんな社会人になっていたのか分からない。
大津さん、荒井さん、さえさん、絵美さん、エイジさん、あつしさん、金子さん、リエさん、ジンノさん、近藤さん、東さん、長濱さん、大石さん。いま思い出しても、本当に頭が上がらない。
それなのに僕は・・。
本当に自分のことしか考えれていなかった。