1-6 触媒

高校生の時にもっと真剣に自分の進路と向き合っていれば、覚悟を決めて、早々と音楽の道へ飛びこめていたのかもしれない。

心から納得して美容師を選んでいれば、ハサミを持った自分の未来を鮮明に想像することができ、美容師を続けられていたのかもしれない。

僕を応援し支えてくれた周りの人たちに、迷惑をかけることはなかったかもしれない。

専門学生の時にもっと色んな美容室を見て回って、覚悟を決めて、心の底から「シエラ」にお世話になりたいという状態で就職をすれば、もっと謙虚な新人としてお店に貢献できていたのかもしれない。

一心不乱に、美容師を続けられたのかもしれない。

僕はあんなにお世話になった美容室「シエラ」を、たった2年で辞めてしまった。

・・・

僕は一流の仕事ができるようになりたかった。

両親が離婚して「お金がないのはイヤだ」「ある日突然、境遇が変わってしまうような、不安定さはイヤだ」というのも理由の一つだったかもしれないが、それだけではなかったような気がする。

物心ついた時から「にかいのじいちゃん」の偉業を意識して育ったからかもしれないし、他にも理由は思い当たる。

とにかく、僕は一流になりたかった。世界に認められるような仕事をできるようになりたかったんだ。

生活態度や実際の行動はともかく、熱意や想いは、まぁそれなりにあったと思う。

でも、先行きがしっかり見えない。

いつイメージをしてみても、未来の美容師をしている僕の姿が鮮明に浮かんでこない。

その代わりに、本当に何故か、いつもギターの映像が浮かんで来る。

そんな時は「将来自分の店を持ったら、ギターを飾って、ライブもできるような店にしよう」そんなことを考えながら、なんだかモヤモヤする気持ちに折り合いをつけていたように思う。

とにかく、今は頑張って一流の美容師を目指そう。美容師として、てっぺんを目指そう。

そう思っていた。

しかし、一流を目指して色んな本を読んだり、世の中を見回しているうちに、一つの考えが頭を占めるようになった。

「どのジャンルの仕事でも、一流と呼ばれるようになった人は、仕事に人生を賭けるほどの情熱を注いだからこそ、一流になり得たのだろう。一流になるのは、その仕事のことが大好きな人たちなのかもしれない」

いつしか「人生を賭けるほどの情熱を注いだからこそ、一流になり得た」の部分をすっ飛ばして、「美容師の仕事が好きなヤツには敵わない」という思いを大事に抱えるようになった。

もちろん、そうじゃない例も沢山あるだろう。

おそらくこれは僕の思い込みだ。

しかし僕は、その気になったら、そう思わずにはいられない。

思い込みにハマり、どんどんその方向に自分を持って行ってしまうクセがある。

「学生時代にいつもコンテストで入賞していたのは、美容大好きという子たちだったし」

半分は本気で、半分は、思うようにサクセスストーリーが進んでいかない自分の現状を誤魔化すための、方便を作り上げていたのだとおもう。

ナントマア、自分に都合のいい!(自分も最後の大一番で入賞してたんだぜ)

とにかくいつの頃からか僕は、そんな思いを抱えながらモヤモヤとする日常を送るようになった。

 

そんな時に、一人のお客さんと出会った。

プロでクラリネット奏者をしているという中山ちなみさん。

オーケストラ奏者として活動しているだけじゃなく、ヤマハ音楽教室や公立の学校で講師活動もしているという、その頃の僕にとって、とても眩しい仕事をしている人だった。

ちなみさんが来るたびに、音楽に対する想いをぶつけていたような気がする。

ある日、ちなみさんが、さらに眩しい経歴を持つギタリストの話を聞かせてくれた。

そのギタリストは福岡で長年演奏活動をしているというだけでなく、毎年ニューヨークへ渡り海外でも演奏活動を行っているという、僕にとって夢のような経歴を持つ人だった。

正直、その話を聴いた時の自分の気持ちや、その辺りの記憶が鮮明に残っていない。

それから僕の記憶は、次の場面に繋がっている。

 

中洲の端に建つ小さな古いビルの3階にある、BAR「JUMP HOUSE」

ウイスキーの瓶がずらりと並ぶ壁をバックに、長いバーカウンターがある。

奥にはアップライトのピアノが置かれ、暗い照明と静かに流れるJAZZ。

僕はそのカウンターで、ちなみさんから教えてもらった例のギタリスト・内山覚さんと話をしていた。

カウンターの中には、落ち着いた笑顔で相槌を打ってくれるバーのママがいた。

ちなみんさんから話を聞いた僕はいても立ってもいられず、内山さんが毎週JAZZを演奏しているという「JUMP HOUSE」に出かけて行ったのだ。

正直、そこでも何を話したのか、ほとんど覚えていない。

覚えているのは、演奏が終わった内山さんが連れて行ってくれた中洲のラーメン屋の「モツニラらーめん」の味だけだ。

 

ちなみさんや内山さんと出会った後だったか、それ以前からだったかはっきりと覚えてないが、ある日を境にやる気が全く湧いてこないようになった。

ちょうどその頃、約1ヶ月かけて「シエラ」がリニューアルされたのだが、外装から内装までガラリと変わったお店にも、新しく設置された豪華なヘッドスパ台にも、全然ワクワクしない。

休日の日も気力が湧いてこず、家で何できずに一日を過ごして鬱々とした気持ちになることが多かった。

お店でも、周りとコミュニケーションを取ることが少なくなっていたように思う。

僕は、調子が悪い時には特に人付き合いが下手になる。

そういえば新矢さんとも、しばらく仕事以外で会っていない。

その時期に大きなミスをしでかしたという記憶はないが、僕の様子のおかしさに気付いた系列店の店長・金子さんが電話をかけてきてくれたこともある。

夜、うつろな表情で自転車をこぎながら帰宅している僕を見かけて、心配になったそうだ。

金子さんは僕だけでなく、オーナーにも電話をかけて気遣ってくれていたらしい。

 

仕事への慣れからくる、一時的な気の迷いだったのかもしれない。

期待とは何となく違う現実を前にして、逃げ道を探していただけなのかもしれない。

シエラに入社して2年目の秋ごろから「美容師を辞めて、音楽の道に挑戦してみたい」と思うようになり、結局、僕はお世話になった美容室「シエラ」を、たった2年で辞めてしまった。

「みんなが自慢したくなるような活躍をして恩を返せばいいし、やり直したくなったら店の前に土下座しにくればいい」

そう言ってシエラのみんなは僕を送り出してくれた。

本当に、僕は自分勝手だ。