GLAYのギターソロに導かれるようにして始めたギター。
不思議とのめり込めた。
僕が惹かれたキュイーンとか、ウィォーンとかいう、宇宙とか幻想的な世界を連想させられる様な音はエレキギターの音で間違ってなかった。
ラッキー。
GLAYの楽譜を買ったり、ギター雑誌を買ってきたりして、色々と弾き方を調べながら地道に練習した。
よく分からない事がいっぱいあったが、出したい音が載っている楽譜もあるし「とにかく続けていればなんとかなるだろう」と思っていた。
ギターソロの練習ばかりしていた。
いま思えば無謀なアプローチで効率の悪い練習法だったのだけど、それでも続けていればなんとかなると思い込んでいたから、愚直に続けられた。
でも、いつまで経ってもGLAYと同じような音が出ないの。
同じエレキギターを弾いてるのに、楽譜に書いてある通りに弾いているのに、なんでこんなにも違う音になるのだろう?
1年くらい延々と頼りない音を出し続けていた気がする。
中学3年生の頃の、いい思い出を思い出した。
文化祭に出ようとバンドを組んだんだ。
野村と服部と坂下くんと翔平くんと。
当時流行っていたGLAYの「Winter Again」をやろうぜ、と僕たちの学年で一番イケイケの友達たちが「お前、ギター弾けるんだろ?」と声をかけてくれた。
服部はひとつ下の学年だったけれど、僕よりもギター歴が長くてギターが上手だったので、色々教えてもらった。
結局、「音楽として成立していない」「生活態度がよろしくない」という理由で文化祭には出れなかったのだけれど、ギターを担いで学校に行ったり、野村の家に泊まり込んで音合わせをしたりと、ワクワクするような時間を過ごせたんだ。
野村のおじちゃんにも、とてもよくしてもらった。
野村はヤンキー、だれでも喧嘩上等という感じの気合いの入った男で、おじちゃんも見た目が少し怖い。
そんな野村家に初めてお邪魔する時には緊張したが、野村家はとてもあったかかった。
おじちゃんがいつも夕飯を作ってくれて、集まった友達たちにニコニコしながら料理をよそってくれる。
野村の兄ちゃんも優しかった。
野村は口数が少なく乱暴な所もある男だったが、たぶん、彼もとても優しい。
距離が近かったのはこの時くらいで接点は多くなかったし、何か他に特別なエピソードがあるわけでもないけど、野村の顔を思い出すと、なぜか僕の心の中はあったかくなる。
ギターの話と関係ないのだが、もう少し、つづける。
僕の心の中に残っている後悔を吐き出したい。
高校生になって、体育祭に野村のおじちゃんが来ていた。
野村も同じ高校へ進んでいたんだ。
昼の休憩時間に、その時もワイワイとした人の輪の中で、おじちゃんがニコニコしていた。
おじちゃんと目が合った気がする。
でも僕は挨拶できなかったんだ。
高校では野村と距離が近くなかったという事もあるし、ワイワイと楽しそうな雰囲気に物怖じしていた気もする。
おじちゃんは僕のことなんて覚えてないだろうなとも思った。
でも、あの目は覚えてくれていたのではなかろうか・・・
なんであの時、挨拶できなかったんだろう。中学生の時のお礼を伝えられなかったのだろう。
美味しいご飯をありがとうございました。優しくしてくれてありがとうございました。
あの時の楽しい時間が大切な思い出になりましたと、ちゃんと伝えられたらよかったのに。
人と接することに不器用になっていた僕は、こういう後悔がいくつもある。
高校の時も同じように、ギターが僕に思い出を与えてくれた。
今度はちゃんと文化祭に出れたんだ。
高校2年生と3年生の頃に、同級生たちと組んだバンドでステージに立てた。
「これは人生のピークか?」と思うくらい声援を浴びた。
GLAYのギターソロが弾きたくて始めたギターだったが、僕の欲求は「もっとギターを上手くなりたい」に変わっていった。
そしてその欲求は、どんどんどんどん大きくなる。