1-5-5 専門学校

「俺は美容師になる」と決意して、厳しさも実績も福岡NO.1だと言われていた大村美容専門学校に通い始めた。

福岡市中央区黒門という、なんだか格式のありそうな名前の場所に建っている、ヘンテコなビルが校舎だった。ビルのくせに四角いフォルムではなく、楕円形なのだ。全面ガラス張りの縦長いO型のビル。それが大村美容専門学校の校舎だった。OMURAだから、O型だったんだろう。

立地もすごい。隣に福岡市民はみんな大好き大濠公園。(お洒落スポット。福岡版セントラルパークのような場所)裏にはアメリカ領事館や超高級住宅が立ち並ぶ。(このエリアにはいつも警備の警察官が立っていた)

初日の入学式はさっぱりしたものだったが、同じ部屋に集められていた同級生たちの、キラキラした格好が印象的だった。それまで見たこともないようなオシャレなスーツ。「ステージ衣装ですか?」と思うような派手な服。「宇宙人か?」と言いたくなるような奇抜な髪型の人もいれば、ファッション雑誌の中から飛び出て来たような、モデル並みにバッチリ決めた髪型の人もいる。

当時の僕はスーツも持っていなかった。入学式に私服はまずいだろうと、なんとか入手した中古のジャケット。高校卒業するタイミングでバイトを辞めたから、お金がなかったんだ。周りの人たちはとても恵まれているように感じた。

入学初日は、華やかさと言おうか、派手さと言おうか、これまで自分がいた世界にはなかった、異質の何かに圧倒された。

専門学校へ進んだ僕は、より変なヤツになっていたと思う。

「高校を卒業した後は、社会人の修行を始める」「苦労を知らずに親の金で進学している奴らとは馴れ合わない」「専門学校は将来のために過ごす」そんな気持ちで、眉間にシワを寄せながら学校へ通った。

何を血迷ったか、髪も眉も金髪にした。

入学式の翌日から泊まり込みの研修合宿が始まるのだが、初日の夜まで、ほとんど誰とも口をきかずに眉間にシワを寄せていた僕を見ていたクラスメイトたちは「あ、田舎のヤンキーが来た」と思っていたらしい。笑

「カッコつけた軟弱者が集まる場所」入学初日以来、僕はそんなことを思いながら、斜に構えて学生生活を送っていたが、大村美容専門学校は素晴らしい学校だったと思う。学生気分が抜けきれていない僕に、社会人になる心構えを叩き込んでくれた。

大村美容専門学校は、戦前の1929年から続く「ML美容室」が母体の専門学校だった。「ML美容室」は福岡で2番目に古い洋髪専門店だったらしい。戦後すぐの1945年に前身の「大村美容研究所」が設立され、1954年に「大村美容専門学院」が設立された。

「一に人格、二に技術」という教育理念の通り、生活態度から技術習得まで、手とり足とり教えてくれた。

入学式の翌日から始まる研修合宿は、挨拶やお辞儀のトレーニングから始まった。声が小さいとやり直し、お辞儀の角度が違うとやり直し。掃除のしかた、トイレの使い方まで指導があった。手洗い場のペーパータオル使用は1枚まで。それで手を拭き、洗面台も拭き上げないといけない。生活習慣や学校のルールを叩き込まれ、研修合宿は終了した。

学園生活が始まると、研修合宿で教えられた生活習慣を守るだけでなく、もう一つ大事なルールにも気をつけなければいけない。

遅刻厳禁。無断欠席3回で退学。

「熱があっても、学校には出てくるように」と教えられた。体調が悪くても遅刻はNG。一聴、眉をしかめられてしまいそうな教えなのだが、これはただのスパルタ教育ではなく、仕事に対する責任感を養うための教えだったと思う。その証拠に、退学になる生徒はゼロだったし、本当に体調が悪い時は、病院の診断書をもらえば休ませてくれた。

いざ授業が始まると、徹底した反復練習。座学で基礎知識や技術理論もしっかり教えてもらえるのだが「理屈より回数、大事なことは身体で覚えろ」というスタイルの授業カリキュラムだった。定期的に学内外で行われるコンテストにも参加させてくれ、自分の現状を把握する機会も作ってくれた。

学校には何時まででも居残りOK。質問をすれば先生が丁寧に教えてくれる。

マジメな生徒には丁寧に技術を叩き込む。それだけにとどまらず、不真面目な生徒にも向き合い、そういう生徒には生活態度や心構えをこんこんと説いてくれるという学校だった。

こうやって冷静に思い出すと、僕はなんて素晴らしい学校に通わせてもらっていたんだろうと思う。

それなのに当時の僕は、その恩恵を全然受け取れていなかった。

 

「バイトをしなきゃ、生活していけない」僕は高校生の頃から、偉そうにそう思い込んでいた。

ご飯を食べられないわけでもない、学校に通えなくなるわけでもない。

生活していけないんじゃない。ケータイを持てなくなる。遊びに行けなくなるだけだ。

勉学に励むこと、自分の将来に本当に必要なものと向き合うことを脇に置いて、バイトばかりしていた。

「俺の成績が芳しくないのも、思うように実力を発揮できていないのも、居残りをしないのも、バイトに行かなきゃならないからだ」

僕はなんて勘違いをしていたんだろう。甘ったれていたんだろう。

 

人間関係に対しても、相変わらず不器用だった。

さすがに悪い事がカッコいいという考え方からは卒業していたが、「自分の信念を貫き通すことがかっこいい」「舐められるのはカッコ悪い」という変なこだわりを大事に抱えていた。

専門学校でも、いつも一人で弁当を食べていました。また、あえて一人を好んでいるような雰囲気を装って。

居場所が欲しいが、集団の中での振る舞い方が分からず、なじめない。

黙々と学業に励んでいれば「静かだがマジメな奴」というポジションで居心地の良い居場所が見つかっていたかもしれない。

しかし、ことあるごとにちょいちょい自己主張をする僕。

掃除をしないクラスメイトに暴言を吐く僕。

気に入らない先生の発言に暴言を吐く僕。

何かあると激しく怒りを表す僕。

机を蹴飛ばして、近くにいた女子を泣かせたこともある。

自分を認められたい。周りから、一目置かれたい。

馴れ合いはしたくはないが、それなりに居場所は欲しい。

そんなんじゃ上手くいくわけないっつーの。

クラスメイトは優しかったし、大人だったから、そんな僕のことを邪険に扱ったりはしなかったけど、僕の方から勝手に壁を作り、一人で孤独に陥っていた。

 

バイトをしながら、自分で勝手に作り上げた何かに追われながら専門学校に通い、就職のことを考える時期を迎えた。

就職活動についても、学校は丁寧なサポートを用意してくれていた。

有名美容室のオーナーを招いて講演会を催してくたり、全国の美容室の情報を教えてくれたり、サロン見学のやり方を教えてくれたり、履歴書の書き方を教えてくれたり。履歴書に使う写真はプロに撮ってもらった方がいいと教えてくれ、自己アピール欄を卒業制作のようなつもりで作り上げるようにと教えてくれた。担任の先生は、一人一人の履歴書に目を通し、何度も何度も添削をしてくれていた。

それなのに僕は、自分の将来を左右する就職活動を安易に考え、楽な道を選んでしまったように思う。

他の美容室に見学に行くこともせず、「昔から通っていたし、美容師になることも勧めてくれたから、雇ってくれるだろう」という理由だけで、地元の美容室「シエラ」に就職することを決めた。

誤解のないように言っておくが、「シエラ」は素晴らしい美容室だ。スタッフみんなが家族のようで、お客さんからの信頼も厚く、売り上げも都市部の一流店に引けを取らない。地方の地方で、なぜこんなに美容室が存在するのだろうと思うくらい、すごいサロンだ。

問題は僕の姿勢。「就職できそうだから」という理由だけで、お世話になる場所を決めたことだ。

色々な美容室を見て周り、自問自答を繰り返し、「やっぱり僕はここで働きたい」「本当にここで働かせてもらいたい」と覚悟を固めてからお世話になるのが、誠実な道だったと思う。

それなのに僕は、自分に都合のいい期待を膨らませて、これで上手く行くだろうという他力依存の姿勢のまま「シエラ」に飛び込んだ。

そんな姿勢で上手くいくはずがない。

本当に僕は甘い。

こうと決めたら自分の判断を盲信する。

自分を過信し、疑わず、すぐ調子に乗る。

苦労に耐えられず、狭い視野をもっと狭めて、問題を周りのせいにし、具合が悪くなる。